ゆりのお助け中学入試国語!

「勉強のしようがない」と言われがちな国語。そんな国語のお悩みを、全て解決!

先生とは、永遠の片思いに耐えられる人達である。

こんにちは!
お助け中学入試国語 ゆりです。

細部読解シリーズが続いていますので、少し箸休めを。

先生と呼ばれる職に就き、15年が過ぎました。
新卒直後は、自分の母親とそれほと変わらないような年齢の保護者の方から「先生」と呼んでいただくことに、違和感があったものでした。
さらに、そのことに違和感を感じてしまう自分への嫌悪感も同時に。
なぜなら、自分がまだ先生と呼ばれるほどの何かを、お預かりしているお子様に提供できていないという意識があったからです。

新人と呼ばれる頃の授業は、毎時間が恐怖の連続でした。
果たして、一コマの授業が無事に成立するのか?
授業が止まってしまうのではないか?
この授業で、本当に力がつくのか?

とにかく怖くて怖くて、深夜まで、時には朝方まで予習をしました。
先輩の先生を相手にする模擬授業では、実際に流れを止めてしまい、何分も黙ってしまったことも…。
冷や汗の流れる体験ですが、今では良い思い出です。

予習の流れとは、以下のような感じです。

①文章を読む
②問題を解く
③問題ごとの解説を考える
④問題を解くために必要な読解の視点を抽出する
⑤読解の視点を子ども達に気づかせるための発問を考える
⑥発問に対する回答を予想する
⑦どの回答を活かしながら流れを作るかを考える
⑧授業全体の中に、①〜⑦をどのような順序で組み込むかを考える
⑨子ども達を笑わせるネタを組む

といった感じです。
予習には非常に時間がかかるのです。
テキストやカリキュラムさえ変わらなければ、①〜⑤までは毎年同じなので楽なのですが、問題は⑥です。
子ども達は「生もの」ですから、日々刻々と変化しています。
当然、毎年違う子達を相手にするので、発言も知識も変わります。
「あの子だったらこれは思いつくだろう」
「こんな面白回答を出してきたらどうしよう」
「この回答を拾っておいて、後でひっくり返そう」
など、考え出すとキリがありません。

小学生対象の塾では、講義形式の授業はほぼありません。
講義形式では、小学生を引きつけることはできないからです。
完璧に準備をしたつもりで授業に出ても、予想より理解してもらえなかったり、予想を超えた面白発言が出たりは毎回です。
その都度、時計を目の端に入れながら、予定していた使用時間を修正しつつ、頭の中で授業を組み直していくのです。
講義形式だと、こちらが一方的に話すだけなので、この手間はありません。
でも、授業で生まれるこの手間が実は楽しかったりもするのです。
だから、単なる講義にはしたくありません。授業はやめられないのです。


授業直前のぎりぎりまで、子ども達の顔と頭の中を想像し続け、授業ではコミュニケーションを取りながら理想と現実のギャップを埋め、授業効果を最大値にしようとする。
教室では、深いコミュニケーションが行われているのです。
それは、本当に豊かな時間なのです。
そのような豊かな時間を提供してくれる子ども達と、子ども達を通わせてくださる保護者の皆様には感謝しきれません。

このような、素敵な時間にも終わりの時はきます。
入試に向けて力をつけることが塾の先生の仕事であるということは、入試が終わればその関係は無くなってしまうということなのです。
良い結果が出ることもあれば、残念ながらそうでないことも…。

あの時、もっといい授業ができていたら。

そう思っても、時間は戻りません。
彼ら・彼女らとは二度と一緒に授業をすることはないのです。
思いを遂げる機会は、やってこないのです。

ー永遠の片思い。
それは、先生を生業にするひとの、業とでもいうものだと思うのです。
その業を背負いきれなくなり、授業に工夫をしなくなったとしたら、先生の看板を下ろすべきだとも思うのです。

せめて次に指導する子達には、前よりももう少しいい授業を。
先生達は、今日もかつての教え子達の背中を追い続けるのです。

夏期講習中の忙しい時間。
指導する子達が多いからこそ、丁寧に授業を組みたいと思います。
自戒を込めて!

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皆様とお子様が、笑顔で中学入試を迎えられますように。

お助け中学入試国語 ゆり